検察「救命できた」(福島民友)割り箸事件に関して

http://www.minyu-net.com/newspack/2007061201000579.html
まずはじめに不幸な転帰をとられました患者様及びよのご遺族にお悔やみを申し上げます。

 東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三ちゃん=当時(4)=が杏林大病院(東京都三鷹市)で治療後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われ、1審判決で無罪を言い渡された当時の担当医根本英樹被告(39)の控訴審初公判が12日、東京高裁(阿部文洋裁判長)であった。

 昨年3月の東京地裁判決が、割りばしが頭の中まで達していることを想定せず、十分な診察や検査をしなかった過失を認めた一方で「気付いても救えた可能性は極めて低かった」と、死亡との因果関係を否定したことに対し、検察側は「正しい判断を前提に適切な措置をすれば救命できた」と主張、禁固1年の刑を求めた。

 弁護側は1審と同様に「割りばしが頭の中に到達したと想定することは不可能だった」と無罪を主張した。

割り箸は当然木でできています。CTを仮に撮ったとしても周りと区別はできないでしょうし、さらに頭蓋骨のアーティファクトで更に判別は困難でしょう。4歳の小児にCTを撮るということは何らかの鎮静をかける必要があります。その合併症も考慮に入れて検査をせねばなりません。MRIなんて撮ろうとしたら更に長い時間鎮静をかける必要があります。
そこまでして仮に小脳に割り箸が刺さっているのが判明したとして、脳幹部にある割り箸を抜くこと(開頭手術になります)で「救命できた」とはとても思いませんし、救命できたほうが奇跡、その場合の救命とは「命だけは助かった」状態になる可能性が大半だと考えます。
このような事件で「全力を医師、医療機関が尽くさなかった」という意見を散見しますし、事実遺族らがそのような主張をすることもあります。しかし、この事件においてCTを撮ることは必ずしも全力を尽くすことにはなりません。

  • CTを撮らなければならないほどの病気が存在する可能性
  • CTを撮ることによって引き起こされるリスク(鎮静の合併症、放射線被爆

を秤にかけて医師は検査をするかしないかを決めているのです。更に言えば

  • その検査をすることを医療保険が許可してくれるか

という問題も病院経営の点ではありますが、大きな問題は最初の二つです(事実、この事件後検査の域値は確実に下がりました)。結果論で「人が死んでんねんで」と攻めるのは簡単ですが、私は少なくとも初見時で、かつこの事件を知らないと仮定してこの症例を見たと想像しましたが、CTの必要性があったと判断はしないと思います。
「全力を尽くす」と主張される方に問いたいのですが、全力を尽くすということは

4歳児が転倒して救急外来来院。受診時は特に症状なし。ただし転倒した瞬間を家族も含めて誰も見ていない。神経学的所見に異常は認めない(ただし、小児から所見を取るのは困難でしょう)。

この状況で全身麻酔をかけて、CT、MRIを撮り、かつ経過観察のため入院させる(1泊もしくは2泊)ということです。小児でなくても大人も老人でも同じです。症状が無いとはいえ、このような事態が生じている、あるいは別の原因で脳出血脳挫傷が起こっている可能性は「0ではない」のですから。もちろん大人であれば鎮静をかけなくても撮影はできるでしょう。でも、間違っても「最近の医者は検査漬けにして儲けようとしている」とか「忙しいから入院はできない」とか言わないでくださいよ? 全力を尽くすというのはそういうことですから。
そんな極端なと思われる方がほとんどだと思います。ですが今元気な貴方も私もこの10分後に死んでいる可能性は0ではありません。そのような「不幸な転帰」をたどったときに、「医師が、医療機関が最善を尽くさなかったから」というのであれば、このような方法をとらざるを得ません。
もちろん私が言いたいのはこのように検査検査検査を行うべきだということではありません。「誰であっても救えなかった」症例をたまたま踏んだ医師が刑事罰を「生贄のように」受けて、医療不信は患者側に深まり、逆に患者不振が医師側に深まるという現状です。このような現状はいたく不自然であり、解決すべき問題であると私は思うんですが・・・。