安楽死?尊厳死?

呼吸器外しのニュースが一番興味がある。
清水哲郎による安楽死の定義は

安楽死とは苦しい生ないし意味のない(と思われる)生から患者を解放するという目的のもとに意図的に達成された死、ないしその目的を達成するために意図的に行われる『死なせる』行為のことである
(最新緩和医療学:p247、ネットではhttp://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/euthanasia/index.html

である。この定義は倫理的な問題を内包せず、定義として分かりやすい。つまり「安楽死のなかで許される安楽死は仮にあるのか、あるとすればそれはどのような条件か」に議論を集中させることができる。以後この定義のもと考えていく。

いきなり否定から入るが、上記定義を考えると「癌末期の患者が呼吸不全に至ったが、人工呼吸器を使ったとしても苦しみを伸ばすだけであるため使用しなかった」は安楽死には入らない。なぜなら「行わないこと」は「意図的に死を達成した」わけではないからである。昨日の日記ではあのようなことを書いたが、一般論で言えばこのような「延命治療を意図的に行わないこと」は本人の同意があれば許されるとされている。
ではなぜ昨日あのような日記を書いたのか。本人の同意がないときは、二通りの解決方法がある。

  1. 「病院は命を救うところ」であるから、できる限りのことをする
  2. 家族が本人の意思を推定できるのであれば、それに従う

救急車で身元不明の意識のない患者が運ばれてきたとき、本人の意思を推定することはできない。そのため患者が死亡するまで最大限の処置が取られることになる。これは全国の救急病院で日常茶飯事に行われていることだ。死亡確認をしてから家族が来るケースもある。
しかし、家族とコンタクトが取れるとき、通常の医師であれば家族と治療方針を相談する。そして大抵の医師であれば、よほど変な希望でない限り家族の意向に従った治療を行う。家族の意向が統一されていれば。
統一されていないときは問題だ。家族の意向という表現をしたが建前上「本人の意思の推定を家族にお願いしている」のであり、それが不可能であることを意味するからだ。と、すると医療従事者はどうすればいいのか。
たいていの場合、「安楽死尊厳死派」が折れることになる。「まだ生きているのに何もしないのか」という論理は今の日本では強い。「病院は命を救うところ」という常識も存在する。本人の意思の推定ができないのであれば身元不明の救急患者と同じ治療をすべきだ。手術等の同意文章も賛成している家族が一人でもいれば書いてもらえる。

何人かの家族に聞けば一人ぐらい「できることをしてください」って家族はいるし、その時点で延命治療は必須に変わる。拒否する家族は殺人教唆罪。少なくとも今の法制度はそっちを支持している。

で、今回の事件。清水の分類に当てはめると「意図的」「消極的」「安楽死」となる。
順番に。医師は死を意図して呼吸器を外したため「意図的」となる(清水の分類は、自身の定義だけではなく巷で用いられている様々な「安楽死」の分類を試みているため、この用語が入る。清水の定義だけを安楽死とするならば、当然全て「意図的」になる)。続いて何らかの追加介入を行ったのではなく、死を意図して治療を停止しているため「消極的」になる。逆に東海大学安楽死事件のように追加の介入による安楽死は「積極的」となる。
また、本人の意思を明確に確認する術はなく、「非自発的安楽死」となる。
東海大学安楽死事件の判決では

判決では、安楽死の手段が積極的・間接的・消極的のいずれであっても、治療行為中止の要件として、i)患者の死期が避けられず死期が迫っていること、ii)治療行為中止の時点で中止を求める患者の意思表示が存在すること、iii)中止の対象は、疾病治療、対症療法、生命維持など全ての措置が含まれるが、どれをいつ中止するかの決定は、自然の死を迎えさせるという目的に沿って行なうこと、を挙げている。
安楽死と末期医療:http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0472.pdf

これに従うとすれば非自発的意図的消極的安楽死である今回の事件はii)を満たしていない。したがってこの医師が殺人罪で起訴されたとき(どうやら法律専門家によれば起訴の可能性はほとんどないらしいが)、刑の軽い重いは別として有罪になる可能性は否定できないと考える。

日本尊厳死協会が試案として提出した尊厳死ガイドライン

一般的な延命措置の不開始・中止の条件として(1)患者本人の意思表示がある(2)不治あるいは末期の判断と、どの延命措置をいつ中止するか、複数の医師の意見が一致する(3)尊厳ある生の確保と苦痛の除去が目的−−の3点を挙げた。

であった。これに従うとしても(1)(2)を満たしていない。

そう考えると、この医師は人間的にはさておき、脇が甘かったと言わざるを得ないと思う。

患者本人の意思表示を得られる状況は緩和医療においてすらまだまだ十分に浸透しているとは言えず、ましてや救急領域では皆無に近い。そのあたりも考慮したガイドライン(家族の医師推定をどのレベルで認めるのか)が作成されないようでは、自分が教わったとおり医師としては積極的安楽死はおろか、消極的安楽死さえもする気にはならない。